愛され続ける繁栄の文様 市松
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    市松1
    市松2
     市松文様とは、濃淡二色の正方形を交互に並べた文様のことです。「市松」と名称がつけられたのは、初代佐野川市松(1722-62)が舞台で着用した衣裳が好評を博したからと言われています。それ以前は「石畳」あるいは、公家装束では同じ文様を「霰(あられ)」と呼び、古くから用いられてきた文様です。
    「真写月花之姿絵」「しうか」
    落合芳幾画 慶応3(1867)年
    立命館大学アート・リサーチセンター蔵
    歌舞伎役者を描いた役者絵にも市松文様がしばしば衣裳や舞台装飾に使用されています。ここにあげた役者絵は二代目岩井粂三郎を描いたもので、帯に黒とねずみ色で市松文様が配されています。
    多色摺木版画である錦絵のほかに型紙ではどのように市松文様が使われているのか、いくつかご紹介したいと思います。
    chapter1

    市松に植物

     まずご紹介するのは、背景に長方形型の市松文様が配された型紙です。市松文様は、型紙を彫り抜いた面積の違いによって表現されています。非常に細い線で彫刻されていて、型紙を切ってしまわないように高い精度で仕上げられていたことがうかがえます。文様としては単純なのですが、その裏には高い技術によって支えられていたことがわかります。また、非常に細い線を残して彫刻しているため、補強用の糸が張り巡らされています。これは絹糸で「糸入れ」と呼ばれる技法の一種です。この糸入れがあるからこそ、細い線も染色の際に切れてしまうことなく、表現することができるのです。(KTS01295)
    chapter2

    立涌縞

     次に紹介する型紙は、曲線で構成される立涌文様と市松文様を交互に配置して、縞のように表現した型紙です。立涌文様は「錐彫」と呼ばれる、彫刻刀の刃が半円もしくは円形に整えられたものを使用する技法のことです。小さな円が密集することにより、立涌の曲線が表現されています。 一方、立涌文様の間にある直線は「道具彫」と呼ばれる、刃の形を三角や四角などさまざまな形に整えた道具を使う技法によるものです。この場合、小さな長方形のような形に整えた彫刻刀を使用したのでしょう。また、市松文様も道具彫によるもので、正方形に整えられた彫刻刀を使って彫刻されたのでしょう。(KTS00606)
    chapter3

    変り青海波に市松

    最後にご紹介する型紙は、青海波風の背景に竹が大きく配されています。竹が麻の葉文様と市松文様で表現されています。縦、横、斜めの直線で構成される麻の葉文様は「突彫」と呼ばれる薄く鋭く整えられた彫刻刀を用いる技法によるものです。麻の葉の部分は型紙の大部分が彫り抜かれていて、細い直線だけが残されているため、彫刻には相当な神経を使ったことでしょう。
     市松文様の部分はよく見ると、彫り抜かれた部分が少しぎざぎざに表現されています。これは、絣のように表現するためでしょう。先染である絣は、染められた糸を織るときに少しずれが生じるため、独特の絣足があります。背景の青海波風の文様も輪郭線が少しずれたように表現されているため、どちらも絣のように見せる意図があったのでしょう。(KTS04070)
     濃淡二色の正方形を交互に並べるという単純な文様ですが、長い歴史の中でさまざまな形で楽しまれ、表現が工夫され続けてきたことがいくつかの型紙をみただけでもわかります。市松文様は、日常にも実はよく使われています。ちょっと身の回りを見渡してみると市松文様がみつけられるかもしれません。
    【参考文献】
    立命館ARC所蔵・寄託品浮世絵データベース
    https://www.dh-jac.net/db/nishikie/search.php
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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