秋の風情を表現する 紅葉
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秋の型紙

    紅葉1
    紅葉2
    毎年、秋になると紅葉(こうよう)の名所が賑わいます。黄色や赤へと木の葉の色が変わる様子に季節の移ろいを感じるという方も多いでしょう。楓が色づいた紅葉(もみじ)を愛でる様子は、古くから歌や絵画に表現されています。流水と楓を一緒に描くと「竜田川図」とも呼ばれますが、これは「ちはやぶる神世もきかずたつたがは から紅に水くくるとは」(『古今集』在原業平)の歌がもととなったといわれています。
    chapter1

    竜田川

    上の画像は、流水と楓を表現した型紙で、背景が正方形を繋ぎ合わせた市松文様になっています。市松文様は縞で表現されていて、型紙を彫り抜く面積を変えることにより、打ち違えた正方形が浮かび上がります。縞の中には流水や楓もあり、直線と曲線が入り交じっています。型彫師の繊細な彫刻と型紙全体を常に把握できる技術が相まって成せるデザインではないでしょうか。(KTS02436)
    chapter2

    楓に源氏香

     上の画像は楓と源氏香を組み合わせた型紙です。源氏香とは、香りを聞き分ける遊びである組香の一つで、5本の線をもとに香の異同を示します。源氏香は全部で52図あり、『源氏物語』54帖のうち「桐壺」と「夢浮橋」を除く各帖の名が付けられました。その後、源氏香は紋所としても用いられ、下図のように江戸時代に刊行された紋帳にも掲載されています。
    『当流 紋帳図式綱目』(arcBK02-0010)立命館ARC蔵
     上の画像の源氏香は左上から「賢木」「初音」「竹河」を表していて、源氏物語に因むデザインを意図しています。そう考えると、楓は『源氏物語』54帖の内「紅葉賀」を表現しているのではないでしょうか。上の画像は源氏香だけではなく、楓を織り交ぜたデザインで「源氏物語尽し」といったところでしょう。『源氏物語』を各帖の象徴する情景で表現するのではなく、簡略化された源氏香という図様を使って暗示しているのです。
     幕末に大流行したいわゆる「源氏絵」にも源氏香は文様として衣裳や調度など広く用いられています。もともと組香の結果を示すために作られた図様である源氏香は、デザインとして広く親しまれるようになっていったのです。(KTS01638)
    ある図様が伝わっていく過程には、文学や当時の文化が深く関わっています。しかし、一度デザインとして広まると当初の機能や意味が薄れてしまうことがあります。時には文様の成り立ちを考えてみることも面白いかもしれません。
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    Designer's Inspiration(デザイナーズ インスピレーション)| キョーテック×立命館大学アート・リサーチセンター
    - 世界に誇る京の型紙デザイン -
     当社は約80年前 佐野意匠型紙店として京都で祖父佐野義男が創業しました。
     創業者は伊勢の津の出身で三重一中を卒業後、京都で親戚のきもの型紙屋で丁稚をしながら染織を学びました。ほどなく同地で型紙屋として独立し、日本の型紙の大半を生産していた郷里の伊勢の白子(現在の鈴鹿市白子)を仕入のために毎週行き来しながらデザイン提案のできる京都で最大手の型紙屋に成長します。型紙とデザインをこよなく愛し、その頃から蒐集してきた伊勢型紙の秀作がいまも本社の2階倉庫に1万8千点余り眠っています。

     時が経ち現在は使わなくなった型紙をこのまま朽ちさせるには忍びないと、地元 立命館大学の美術アーカイブ界権威の先生とコツコツとデジタル撮影をはじめ、7年越しでようやく今年日本一の検索可能な型紙デザインアーカイブが完成しました。創業者が望んだように日本の優れたきもの古典デザインを、日本のみならず世界のデザイナーに知っていただき少しでも活用いただければ、出身のきもの業界へも恩返しになるのではと考えています。
     現在当社は染織ときもの業界を卒業し、主業はインテリアと電気業界に移り住みましたが、温故知新でデザイン情報を発信するとともに自社の製品デザインにも展開してまいりたいと考えております。少しずつしではありますが、今後の展開に宜しくご期待くださいませ。

    旧屋号 佐野意匠型紙店 四代目代表(現 キョーテック)佐野聡伸
     Our company was founded as SANO Kimono dying stencil workshop more than 80 years ago by my grand -father in Kyoto. He was born at ISE, Mie Prefecture, then after graduated local college, he started to work at his uncle's the stencil workshop in Kyoto. Soon he built his own workshop, every week he went to buy the stencil from SHIROKO near his hometown, later his shop became No.1 major design pattern shop in Kyoto. He loved Kimono and its pattern stencils, and collected eagerly and kept more than 18000 stencils in our head-office storage yard still now.
     After long long time, we feel sorry the stencils are leave to decay, then make up our mind to digital photo reserving with RITUMEIKAN University, world famous recerch centre of art data preservation. It takes 7years to built web searchable data-base.
     Now we sincerely hope that not only Japan but also world designers make use of our stencil data, as a result we can repay our origin Kimono industry. This seems to be our founder's dream.
     However, now we lives away from kimono and fabric trade, we can give you useful design information,and also use ourself as our product design. We will go Slowly but steadily, so please keep your interest on us!

    4th representator of SANO KIMONO DESIGN STENCIL WORKSHOP(old name)
    Toshinobu Sano (now KYOTECH Co,.LTD.)
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